お笑いコンビ「フォークダンスDE成子坂(なるこざか)」の元メンバー「桶田敬太郎(おけだけいたろう)」さんが、2019年11月に病気のため亡くなっていたことが、所属事務所の公式サイトで発表されました。
48歳だったということです。ご冥福をお祈りいたします。
『ボキャブラ天国』などで活躍し、記憶に残っている方も多いことと思います。
ここでは桶田敬太郎(おけだけいたろう)の死因は病気で病名はがん?と題して、桶田敬太郎さんの死因である病気(病名)について調べてみました。
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桶田敬太郎(おけだけいたろう)の死因は病気で病名は?
ボキャブラ世代で大好きな2人だった😭
あの頃はくりぃむしちゅーさんも海砂利水魚で、バカリズムさんもコンビだった気がする。
沢山の笑いをありがとう😌#フォークダンスDE成子坂#戦慄の不協和音元フォークダンスDE成子坂の桶田敬太郎さんが死去 https://t.co/CUecFaVJq3 pic.twitter.com/VHF0RLwVWL
— シャンプーちゃん。 (@odango0315) February 26, 2020
笑いコンビ・フォークダンスDE成子坂の元メンバーとして『ボキャブラ天国』などで活躍した桶田敬太郎さんが、昨年11月に病気のため亡くなっていたことが23日、所属事務所の公式サイトで伝えられた。48歳だった。
引用元:オリコンニュース
上記の報道では、桶田敬太郎さんは、2019年11月23日に48歳で亡くなられ、死因は「病気」ということのみが発表されています。
今まで桶田敬太郎さんが病気などで闘病していたとの情報などもネット上には無く、何の病にかかっていたのかは不明のようです。
サイトでは「桶田敬太郎は、広く創作活動に勤しんで参りましたが、昨年11月23日に病により永眠いたしました」と報告。「なお、葬儀と七七日法要は故人の遺志により近親者のみで相済ませました。また、お別れの会などの予定はございません」としている。
引用元:オリコンニュース
上記の情報からすると、葬儀や七七日法要までご自分の遺志を伝えられているので急死でないことがわかります。
がん、急性心筋梗塞、脳卒中の三大疾病(特定疾病)は、こ日本人の死亡原因の上位3位を占めています。
48歳というお若い年齢ということ、急死ではないことから予想するとやはり「がん」の可能性が高いように思います。
桶田敬太郎さんの最後のツイートは2019年9月22日でした。
たった1切れで完全にのされた。
これあともういらない…どーしよ… pic.twitter.com/YQziVAXNWr— オケダケイタロー (@OKEDA_KT6) September 22, 2019
毎月Twitterの投稿がありましたが、上記ツイートを最後に更新が止まっていたため、心配されていたファンは多かったようです。
桶田敬太郎(おけだけいたろう)フォークダンスDE成子坂のプロフィール・経歴
プロフィール
名前:桶田 敬太郎 (おけだ けいたろう)
生年月日:1971年10月4日
年齢:48歳(享年)
出身地:三重県鈴鹿群関町
高校:三重県高田高等学校 卒業
コンビ:フォークダンスDE成子坂
相方:村田渚(むらた なぎさ)
桶田敬太郎さんは、産まれは兵庫県尼崎市ですが父親の転勤に伴い三重県で育ちました。
高校生の頃からお笑い芸人を志望し、卒業後に上京し芸人として本格的に活動を開始されました。
コンビは「フォークダンスDE成子坂」。そして相方は「村田渚」さん。村田渚さんとは中学時代(関町立関中学校)の同級生ということです。
経歴
1991年、コンビ「フォークダンスDE成子坂」が第14回 高田文夫杯争奪 OWARAIゴールドラッシュにて優勝。テレビ朝日『GAHAHAキング』で第2代チャンピオンに輝くなど、お笑い関係の賞レースでは多くのタイトルを勝ち取る。
1999年12月、ォークダンスDE成子坂を解散。自らの音楽活動に専念するためとし、バンド「The 3cm〜」のボーカルTaroとして活動を開始。
2004年、放送作家・構成作家として、バラエティ番組を中心に、テレビ・イベント・舞台・CMなどの企画/構成を手がける。
イベントを手掛けたタレントは「ますだおかだ」「三原じゅん子」等。
2006年、フォークダンスDE成子坂、元相方の「村田渚」さんがクモ膜下出血のため急死。
2014年、新ネタをYouTubeに公開。
2016年、ポッドキャスト配信を開始。
桶田敬太郎(おけだけいたろう)死去でネットの反応は?
桶田敬太郎さん、ありがとう。
これからも目標とさせて頂きます。(憧れという意味で)自分の中の師匠は桶田さんしかいないです。 https://t.co/COP74UcTSc— せいやま (@yuki051742) February 27, 2020