大ヒット曲「ブルー・シャトウ」で知られるグループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」のリーダーを務めた「ジャッキー吉川」さんが、2020年4月21日、自宅で亡くなっていたと報道されました。
81歳ということです。ご冥福をお祈りいたします。
ここではジャッキー吉川の死因や原因は病気でコロナ?孤独死の可能性もと題してジャッキー吉川さんの死因や原因について調べてみました。
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ジャッキー吉川の死因・原因について
「ブルー・シャトウ」などのヒット曲で知られる人気グループサウンズ「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」でリーダーを務めたジャッキー吉川さんが、群馬県内の自宅で亡くなりました。81歳でした。https://t.co/ybrADurEvw
— NHK科学文化部 (@nhk_kabun) April 21, 2020
マネジャーが19日に群馬県内の自宅を訪れたところ、男性が倒れているのを発見。警察が死亡を確認し、吉川さんとみて身元や死因の確認を進めている。
吉川さんは一人暮らしだった。2010年に転倒した際、後頭部を強打して脳出血を起こしたが、手術を経て復帰。精力的に音楽活動を行っていた。昨年10月に都内で開かれたライブが最後の活動になった。
引用元:スポニチ
死因は病気?新型コロナウイルス感染の可能性も
ジャッキー吉川さんは、2010年に転倒した際に脳出血を起こしていました。手術を経て復帰されています。
脳出血は再発の可能性があり、10年再発率は脳出血が55.6%と高いようです(情報元:https://www.avic-physio.com/)。
亡くなったのが脳出血を起こしてから約10年後ということで、死因は脳出血が再発してしまったのかもしれません。また81歳という高齢であったため、高齢者の突然死の原因で多いとされる、心臓などの循環器系の病気であった可能性もあります。
さらに、現在新型コロナウイルスが猛威を奮っており、高齢の方は重症化しやすいということで、ジャッキー吉川さんの死因は新型コロナウイルスではないかとも言われています。
先日の報道で、変死として警察が取り扱った遺体で、新型コロナウイルス感染が警視庁だけで6件、全国で11件あったということが発表されていました。
このことから、ジャッキー吉川さんの新型コロナウイルス感染の可能性も十分に考えられます。
ジャッキー吉川は孤独死?家族について
【社会】ジャッキー吉川さん死去 「ブルー・コメッツ」 81歳https://t.co/PB0ZmvyJ8M
— 東京新聞(TOKYO Web) (@tokyo_shimbun) April 21, 2020
ジャッキー吉川さんの孤独死についてですが、ジャッキー吉川さんは1人暮らしだったということです。
マネジャーが4月19日に群馬県内の自宅を訪れたところ、男性が倒れているのを発見したと報道されていました。
ジャッキー吉川さんの結婚や妻(嫁)について調べてみましたが、ご結婚されたという情報が見当たらなかった為、生涯独身だった可能性が高く、1人暮らしをされていたことから孤独死となってしまったと思われます。
ちなみに、ジャッキー吉川さんのご両親は、ジャッキー吉川さんが高校3年の時に母が癌で亡くなり、その7年後に父も亡くなっているそうで、ご兄弟についての情報も見当たりませんでした。
ジャッキー吉川のプロフィール

プロフィール
名前:ジャッキー吉川
本名:板岡公一(いたおか こういち)
生年月日:1938年8月1日
出身地:東京都
住まい:群馬県
中学高校:法政大学第一中・高等学校
大学:法政大学経済学部
ジャッキー吉川さんは、小中学校時代は八王子にお住まいでした。
中学高校、そして大学は法政大学の中高一貫校で、大学もそのまま法政大学に進学されています。
ジャッキー吉川さんは、水泳選手として全国大会で入賞するほどの実力の持ち主として有名だったそうです。
「ジャッキーの由来はジャッキのように力強い腕から来ている」ということで、水泳で鍛えた腕が力強いドラムに繋がっていたのかもしれません。
高校時代に独学でドラムを始め、高校2年の時に法政の先輩でブルー・コメッツのリーダーだった大橋道二さんの紹介で同バンドのバンドボーイとなり、その後、バンドボーイ兼ドラマーとしてで3年間ドラムの技術を磨き続け、ブルー・コメッツの正式なメンバーとなることができました。
1966年から1968年まではリーダーを務め、中心メンバーとして活躍しました。
ブルー・コメッツ代表曲「ブルー・シャトウ」
「ブルー・シャトウ」は100万枚を超えるヒット曲となって、レコード大賞も受賞しています。
さらに1966年のビートルズ来日で前座を務め、NHK紅白歌合戦に3年連続で出場しました。
替え歌も流行し、歌っていた方は多いのではないでしょうか。